ぼんさんのひとりごと

第143話 お坊さんカフェ開催

月心法事会館で6月16日(金)友引

お坊さんカフェが開催されました、近隣のお坊さん(僧侶)

各宗派よりお招きいただき、8名、一般の参加者20名、

それぞれのテーブルに分かれて円座になり、日ごろこんなこと

あんなこと、聞きたいなと思っていることを質問するのです。

コーヒーとケーキ、お茶を接待しながら、約2時間あっという間に

散会の時間になりました。

私のテーブルには70代のご婦人が4名、終戦直後の苦しかった

話など、仏事と関係のない、たわいない話に笑いあり、懐かしさあり、

結局老人の語り合いの場になりました。

それでもこういう会を企画してくれた、月心のスタッフの皆さんに

感謝の気持ちでいっぱいです。

第142話 臨床仏教師として 森脇宥海師活躍

平成29年6月8日付け・愛媛新聞に

「患者の思い静かに共有」県内初「臨床仏教師」森脇宥海さん(松山)

と大きく掲載報道されました。

森脇宥海師は松山市・真言宗の浄明院の副住職です。

住職の森脇宥暢師も立派な人ですが、副住職の宥海師は

若いのに今の寺院や、僧侶の在り方にいささかの

疑問を持っていました、私の知る若い僧侶の中でこの人は

有望な一人でした。

将来の仏教界を変革してくれる人材でありましょう。

臨床仏教師とは終末期医療などで心のケアに取り組む仕事です。

仏教の精神に基づき、人生の最終段階などにある人々の孤独や悲嘆、恐怖

を受け止め、心のケアを行う。

息子のような宥海さんと話していますと、不思議と安心するのです。

本来持っている、僧侶の血統でしょうか、今大師のような親しみと

引き込まれるような人間味が感ぜられ、今後の活躍を期待するとともに

陰ながら応援を惜しみません。

 

第141話 肝臓癌で入院治療

4月10日(月)松山赤十字病院に入院す。 精密検査の結果、肝臓に二か所癌が確認された。 まだ初期の段階であったので手術はせずに、 ラジオ波治療により焼灼することにした。 治療は上手くゆき、4月28日には退院する事が出来た。 その間、周りの人らに迷惑をかけた、息子夫婦にはいろいろ

面倒をかけた、寺の葬儀、法事は若い住職と副住職で対処してくれた。

大間の区長の責務が4月新年度で他方面より会の出席、報告、計画書の提出、宅地境界の立ち合い、浄化槽の証明等々、

毎日病院での応対になった、副区長等の協力もあり、何とか急場を凌げた。

私も今年七十八歳になる、後進に仕事を任せよとの、計らいであろうか?

「空気」の抜けた風船のような自分の老いを味わった。

いよいよ終末の準備にかかる日がやって来た。

第140話 ある宗派の葬儀に行って驚いたこと

仏教では「死」を穢れと受け止めることはありませんので

清め塩は使いません。私たちは「清め塩」「出棺の際に茶碗を割る」

など亡き人を卑しめる習慣を行いません。 〇〇〇〇    住職

 

葬儀の時会葬の御礼状にこのような文面がありました。

真言宗の私としましては、なんと うわべだけの解釈で、こともまことしやかに、

昔から大事にして来た行いを止めてしまうのでしょうか?

「清め塩」確かに死者は穢れではありません、仏になられた清らかな存在です。

これは昔、野辺で荼毘に付して別れを惜しむ遺族が亡き人の灰を自分に振りかけて、

死者の徳を頂こうとした行為の変形したものです。白い灰に似た塩を使うように

なったのです。

確かに「清め塩」と書きますと誤解を招きます。

字や言葉尻を捉えて云々とは、短絡的と言うべきです。

どうしても「清め塩」に拘るのでしたら、会葬に来た人が穢れているのですから、

葬儀会場に入る前、自分に振りかけてからご入場してくださいと言えばいいのでは・・・・

 

また出棺の時「茶碗を割る」行為は日本の古来から伝わっている、この世とあの世

はすべて、あべこべだとする考えがあったのです、死に装束の白衣は左前に着せますでしょう、

「埴輪」が一部分欠けているのも、通夜葬式をするのもこの世が暗い夜になると

あの世は明るい朝になるからと言う優しさからきた行為だったのです。

だから茶碗は割らなければいけないのです。あの世で困らないように。

この宗派はもう少しなぜこの習慣が長年続いているのか、多方面より掘り下げて

調べ結論を出してほしかったです。

すべて死者への優しさ、恩返しに帰着するものです。

私はこの習慣を守り続けてゆきます。

 

 

 

第139話 帆船型、飛行機型あなたはどちら?

人には帆船型、飛行機型の2種類の生き方があります。

帆船型とは、追い風に任せて前進する生き方、つまり

自然に身を任せ順風を待って、目的地に舵取りする生き方です。

それとは反対の飛行機型の生き方があります。向かい風に逆らって

推進する抵抗を前進の力にする生き方です。

私事ですが、どうも飛行機型の人生を歩んできたようです。

今77歳これからは帆船型の生き方にシフト(転換)しようと思います。

 

「飛行機」の画像検索結果

「帆船」の画像検索結果

 

第138話 「フジ」開店50周年おめでとう!!

松山市に本格的なスーパーマーケットが出来た。

昭和43年3月「フジ」と言います。初代の社長、尾山謙造氏

が新入社員に町内一軒一軒、粗品のタオルを持って挨拶に行かせました。

そして、感心したのは、世の中から忘れられかけている、高齢者の

皆さんに葉書を出し、開店のご案内をしたのです。

開店当日、嬉しそうに買い物をしてくれた、おじいさん、おばあさんの姿が

生き生きと目に焼き付きました。 続きを読む »

第137話「ゲスの極み乙女。」 名は体を表す

「ゲスの極み乙女。」

ロックバンド「ゲスの極み乙女。」と「indigo la End」のボーカルを務める川谷絵音(27)が3日、交際が報じられた未成年のタレント・ほのかりん(19)と飲酒したことを「事実」と認めたうえで、12月3日に東京・Zepp Tokyoで行われるゲスの極み乙女。のライブ終了後をもって、当面の間、活動を自粛することを発表した。

グループ名を最初からなんとふざけた名にしたものだと思っていました。

案の定「ゲスの極み乙女。」の名の如く不倫あり、今度は未成年少女に飲酒をさせるなど名は体を表すと言う通りになりました。

怖ろしいですね!!

 

第136話 東京都小池知事

東京都知事がオリンピック招致が決まってから

3人目、小池知事は豊洲市場の問題、オリンピック

予算の問題、与党を持たない知事が今までの都庁に

巣くう魔物をあぶり出し、都民の前に信を問う姿勢を

示している、これこそ政治であろう。

もし、せこい舛添前知事がそのままであったらどうなったか

怖ろしい限りである。余談になるが「粘ってもどうにもならない舛添る」と言う。

オリンピックの場合も、元の総理、森喜朗さん(オリンピック組織委員会会長)

が顔を出すが、なんとも心もとない返答に恥じ入るばかりだ。

第135話溝辺騒動

溝辺騒動とは?
1832年、4月8日に起きた事件。
 松山ではそのころ、4月に麦の豊作を祈る「麦祈祷」という行事がありました。そ の余興として溝辺村でも村の青年らによって芝居が溝辺川原で興行されました。  この芝居の見物に亀太郎という村の青年がいました。彼は友人と二人で仕立て下ろ しのおそろいの着物を着て見物に来ていました。一方、東野のお茶屋あずかりの武士 渡辺という人が娘を連れて湯ノ山の柳天王社に参拝しての帰り、芝居見物に来ていま した。  午後になって、芝居もいよいよおもしろくなったころ、雨が降ってきました。あわ てた渡辺の娘が日傘を差して見物を始めました。そうなると、後ろのほうからはさっ ぱり見えません。そのとき後ろのほうから、「傘をのけんか、後ろから見えんが。」 と大声で怒鳴ったものがいました。渡辺は怒って、「無礼な一言だ。聞き捨てなら ぬ。」というと、「傘をのけいというのがなんで無礼か。」といったことがきっかけ で、場内は騒然となり石が飛びました。渡辺は刀を抜いて若者連中に切りかかりまし た。大声で怒鳴ったのは、亀太郎の友人でしたが、同じ着物を着ていたので、友人と 勘違いをして亀太郎に切り付けました。運悪く物売りのひもに足を取られて、ばった りたおれたので背中に一刀受けました。渡辺は、人数を増やして、亀太郎を追い回し ました。追いつめられた亀太郎は、石手寺に助けを求めました。亀太郎が石手寺に逃 げ込んだということを聞いた渡辺は、石手寺の住職に身柄の引き渡しを要求しまし た。住職もしかたなく、亀太郎を引き渡しました。渡辺は、他の役人たち十五人とと もに亀太郎を騒動のあった溝辺川原に連れて行き、そこで斬首しました。このとき、 亀太郎は十八歳でした。殺されるとき亀太郎は、東野が見下ろせるところへまつって ほしいと言いました。今でも、溝辺の浄円寺に東野に向かってまつられています。  その後、溝辺では村芝居はしなくなりました。毎年、浄円寺境内で法会と子供ずもうが行われています。(湯山誌稿より)

続きを読む »

第134話 お寺に捨てられていた黒い子猫

5月3日春祭りの夜お寺に子猫が捨てられていました。

お寺には以前から縞の牡猫がいます。

子猫は真っ黒の牡猫です。餌場で仲良く親子のように

寄り添って体を擦りつけながら餌を食べ、寝床にと作ってやった、

段ボールの中で寝ているようです。

鳴き声は細々として、体調があまり良くないのか、動きも

ゆっくりしています。 続きを読む »

1 / 1512345...10...最後 »