ぼんさんのひとりごと

第150話 足立美術館、松江城、水木しげる記念館へ

 

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30年5月9日~10日足立美術館、水木しげる記念館、松江城、八重垣神社へ歴史探訪、お天気にも恵まれ良い研修旅行になりました。

第149話 (長谷寺団参・65名ー33番札所竹生島・宝厳寺参拝)

平成30年4月30日午後8時20分松前町を出発して一路

本山長谷寺団参にバス2台で65名元気に東予港から大阪南港に!!!

翌日5月1日は夏日の暑さで楽しみにしていました牡丹は盛りを過ぎ

大半が崩れかけていました。

それでも本尊様の御足に触れ健康を祈願しました。

実物大の観音様のお軸も拝見できました。

団参回数表彰20回・1名 10回・4名 5回5名

お茶の接待を受け、ご法話を拝聴できました。

午後は近江の豪商のお屋敷を見学して、楽しみの夕食宴会場の

長浜のロイヤルホテルへ到着しました。

温泉に入り、美食をお腹一杯にして、カラオケで盛り上がりました。

「いくたびも詣る心は初瀬寺山も誓いも深き谷川」のご詠歌のように 毎年お詣りをして新たな御陰を頂いております。IMG_1554 (2)IMG_1553 (2)IMG_0014 (3)IMG_0018 (4)

 

第148話  再入院(毎春入院とは・・・・)

今年も4月9日松山赤十字病院に入院しました。肝臓癌の再発です。

ラジオ波治療で今年は13日で退院できました。(昨年は19日)

沢山読書ができました。「釈迦はなぜ子を捨てたのか」山折哲雄著、

「選ぶ力」五木寛之著、「国を蹴った男」伊東潤著、「運命の人」1,2,3,4

山崎豊子著、「等伯」1,2安部龍太郎著を読み切りました。

これは病気により高齢になった私への休息日だったのかと、ある面で感謝している。

体重も3㎏減り体調も快適です。これで5月1日の長谷寺お詣りの団参に行けそうです。

 

第147話 Facebook始めました。

3月よりFacebookの利用方法を教わり、始めて見ました。

スマホは使えませんので、パソコンとデジカメで挑戦しています。

友人が沢山できました、特に若い人が多いです。私も若返りました。

若い人らの情報が楽しいですね!!私のプロフィール写真です。IMG_0990 (2)

 

第146話 坊さん奮闘記

 

 

 

坊さん奮闘記                                         

少 年 期

戦況慌ただしい昭和14年6月19日、真言宗の教深寺に4人目の子が誕生しました。姉(和嘉子)・兄(真彦)・姉(加壽子)・私(夏生)腕白な少年としてすくすくと成長しました4歳の時のことをありありと覚えています。

昭和18年重信川が決壊しました。徳丸の北岸でした。中川原、大間は被害甚大でした。西瓜、牛までが流されてきました、床上浸水でした。

この年同居していた父方の祖母が亡くなりました。厳しい中にも優しい祖母でした。

終戦の一日前に妹が4歳で伝染病の赤痢で亡くなりました。昭和17年6月10日生まれで登紀子と呼んでいました。

昭和21年4月岡田小学校に入学しました。この年弟が生まれました、隆章と言います。南海地震が12月21日未明襲いました。

毎晩余震に怯えた記憶があります。

小学校、中学校時代はよく遊びました、勉強はまあまあ成績の良い方でした。

スポーツも何でもやりました。

父が俳句をやりますので吟行に連れて行ってくれました。俳句の心得はその時身に付いたのでしょう。俳号を「夏泉」と申しました。

特記すべきは中学校2年生の時の学芸会で自らが演出し主役も兼ねて「一茶と千六」を演じたこと、拍手喝采でした。また「若鮎」新聞を発行して(ガリ刷り)1部10円で販売したこと。

不足分は福島先生が補ってくれました。

青少年非行防止の弁論大会にも出ました、個性の強い青年でした。

経済的に苦しい家庭事情もあり大学は諦め、高校は松山工業高校の電気課を選択し、

勉強はほどほどで、2年生の時生徒会長を二期務め、3年生を送る歓送の辞を読みました。予餞会では柳亭痴楽の「青春日記」をやり受けました、父に将来落語の世界へ行きたいと言いましたら、叱られて諦めました。

青 年 期

大阪の早川電機工業(株)後のシャープ電機に入社してテレビの製造、修理、企画等々会社の短歌会「早春」に入部しその世話役として活躍す、

また裏千家の茶道部にも入部して多くの友人をつくる、桂離宮、修学院離宮の見学予約を宮内庁に申請してやっと日時が決まる、茶道部のそれぞれが休暇をとって楽しく戻りましたら、部活動を逸脱した行動と、人事課長に叱責を頂戴する。

工場長(常務取締役)と言い争い寮に帰ると同僚が段ポール箱を持ってきて荷造りしてやると言う、どうしてかと聞くと、工場長と喧嘩したら、

明日は人事部長に呼ばれて左遷やなあと・・・翌日なんのお咎めもありませんでした。

私の青春はシャープ電機時代に有りました。 続きを読む »

第145話 若い僧侶に望むこと

江戸時代寺院は幕府から手厚い保護を受けました。檀家制度もそのひとつです。

明治になって檀家制度は消滅しました。ただ長年の付き合いで菩提寺として150年

経った今でも従来の檀家が寺を支えてくれたのです。

今は信教の自由が憲法で保障されています、政教分離、宗教法人は公益法人として、

無税扱い、一般の法人より優遇されています。

若い住職は高学歴で今更申し上げることもないでしょうが、厳しい社会環境の中、

一般の人らは、リストラに遭い、恐々としています。

それに引き換え、住職になれば、二重三重にも保護され、滅多なことでもしない限り

首になることはありません。

自分を切磋琢磨することもなく僧侶の僧階の昇進をことさらに、欲しがったり、

檀家、信者に対し仏教を教えてやろう、そんな態度が伺えます。 続きを読む »

第144話 資格って何でしょう!!

 

最近社会を騒がせている、日産自動車リコール問題、

新車の検査不備が常態化していたことが明らかになった。

正規に登録された資格のある者でなく、補助検査員が検査して

出荷していたとのこと。

安全を重視しなければならぬ、自動車の検査は厳格でなければなりません。

医者の無資格者が手術した例もありました、学校の先生が無資格で

問題になった例もありました。

世間ではあまり問題にしませんが、坊さん(僧侶)にも資格があります。

ところが最近名刹の大寺が(資格のある者)住職一人でほとんどの法務、檀務を

修行中の弟子に任せています。

なぜかと調べてみれば、僧侶の資格のある者には給料を支払わねばなりません。

弟子ならお小遣い程度で済みます。

だから弟子には資格を何時までも取らさず、職員扱いで対処しています。

資格ある僧侶が手伝いに来たら時給900円ですと言ったとか?

この和尚を世間では立派な人と思っています。大きなお寺の住職だから・・・

直接生命に関係ないかもしれませんが、人心を弄ぶことも、

また、詐欺まがいのことも、僧侶と言う立場で簡単にできるのです。

心の悩みや苦しみから救ってあげられる、資格ある僧侶は大切です。

小さな当寺でも三人の資格ある僧侶がいます。

 

 

第143話 お坊さんカフェ開催

月心法事会館で6月16日(金)友引

お坊さんカフェが開催されました、近隣のお坊さん(僧侶)

各宗派よりお招きいただき、8名、一般の参加者20名、

それぞれのテーブルに分かれて円座になり、日ごろこんなこと

あんなこと、聞きたいなと思っていることを質問するのです。

コーヒーとケーキ、お茶を接待しながら、約2時間あっという間に

散会の時間になりました。

私のテーブルには70代のご婦人が4名、終戦直後の苦しかった

話など、仏事と関係のない、たわいない話に笑いあり、懐かしさあり、

結局老人の語り合いの場になりました。

それでもこういう会を企画してくれた、月心のスタッフの皆さんに

感謝の気持ちでいっぱいです。

第142話 臨床仏教師として 森脇宥海師活躍

平成29年6月8日付け・愛媛新聞に

「患者の思い静かに共有」県内初「臨床仏教師」森脇宥海さん(松山)

と大きく掲載報道されました。

森脇宥海師は松山市・真言宗の浄明院の副住職です。

住職の森脇宥暢師も立派な人ですが、副住職の宥海師は

若いのに今の寺院や、僧侶の在り方にいささかの

疑問を持っていました、私の知る若い僧侶の中でこの人は

有望な一人でした。

将来の仏教界を変革してくれる人材でありましょう。

臨床仏教師とは終末期医療などで心のケアに取り組む仕事です。

仏教の精神に基づき、人生の最終段階などにある人々の孤独や悲嘆、恐怖

を受け止め、心のケアを行う。

息子のような宥海さんと話していますと、不思議と安心するのです。

本来持っている、僧侶の血統でしょうか、今大師のような親しみと

引き込まれるような人間味が感ぜられ、今後の活躍を期待するとともに

陰ながら応援を惜しみません。

 

第141話 肝臓癌で入院治療

4月10日(月)松山赤十字病院に入院す。 精密検査の結果、肝臓に二か所癌が確認された。 まだ初期の段階であったので手術はせずに、 ラジオ波治療により焼灼することにした。 治療は上手くゆき、4月28日には退院する事が出来た。 その間、周りの人らに迷惑をかけた、息子夫婦にはいろいろ

面倒をかけた、寺の葬儀、法事は若い住職と副住職で対処してくれた。

大間の区長の責務が4月新年度で他方面より会の出席、報告、計画書の提出、宅地境界の立ち合い、浄化槽の証明等々、

毎日病院での応対になった、副区長等の協力もあり、何とか急場を凌げた。

私も今年七十八歳になる、後進に仕事を任せよとの、計らいであろうか?

「空気」の抜けた風船のような自分の老いを味わった。

いよいよ終末の準備にかかる日がやって来た。

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