ぼんさんのひとりごと

bonsan no hitorigoto

ぼんさんのひとりごと

第165話 お彼岸について

大間サロン でお話しした原稿です

お 彼 岸

令和2年9月23日

お彼岸って何ですか?

お彼岸は春と秋との2回あり、春分・秋分の日を(中日)とし、前後3日を合わせた

7日間をいいます。

ご先祖さまや自然に感謝をささげる仏道精進の期間で日本独自の仏教行事です。 お彼岸にはお寺の法要やお墓詣りに行き、亡き人へ思いをはせ、感謝の

まことをささげます。

古くは聖徳太子の頃から始まったともいわれ、古い記録では「日本後記」に「延暦25年3月辛巳の条」に「奉為崇道天皇、令諸国国分寺僧春秋二仲月別七日。讃金剛般若経」とあり、崇道天皇(早良親王)の供養の為に諸国の国分寺の僧を集め、法要をしたことが記され、彼岸の始まりとする説もあります。

農耕文化の日本では古来より、昼夜の時間が同じで、真東から太陽がのぼるこの時節に自然の恵みに対する感謝をささげる風習があり、これらと仏教の教えが

結びついたと考えられています。

「彼岸」言葉の意味

彼岸とは、「彼の岸」すなわち「悟り、涅槃の境地」を意味し、その語源は、サンス

クリット語「パーラミター」(波羅蜜多)の漢訳語「到彼岸」からきています。

煩悩と迷いの世界である「此岸」から悟りの世界「彼岸」へ到達するために、「六波羅蜜」の修行を行います。彼岸はその修行をするための期間でもあります。

「六波羅蜜」とは

布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧という六つの実践徳目。

お彼岸には、お墓参りをし、お花や線香を供え、真心の合掌を捧げる修行が大切ですが、お参りは一度行ったら、後はほったらかしにするのではなく、彼岸詣りに限らず何度でも繰り返し行うことが肝心なのです。

また菩提寺は、故人の追善供養を行う役割も重要ですが、檀家さんの相談事も聞いてくれますので、お彼岸詣りは、ご住職に一言ご挨拶されるのも良いことだと思います。

また、お仏壇の掃除はもちろん、仏具などもきれいにして、お花もかえます。花は樒、おはぎ(ぼたもち)をそなえ、団子やお霊供膳、珍しいお菓子、果物をお供えするのも良いことです。

「お彼岸よもやま話~その1」

春彼岸にお供えするのは「ぼた餅」。秋は「おはぎ」。どちらも同じものですが、それぞれ季節の花「牡丹」と「萩」にちなむものです。時節によってその呼び方がかわるのは、四季のうつりかわりに敏感な日本人の豊かな心の表れといえましょう。

ぼた餅、おはぎって?

ぼた餅(牡丹餅)とは、うるち米ともち米を混ぜて炊き、米粒が残る程度について俵状にまるめ、あんをまぶしたもの。

甘味を口にする機会の少ない時代にはご馳走であり、来客のもてなしや田植えの後の寄り合い、子供のおやつ、また法要の際などに供されました。

同じ食べ物を、材料の調理の仕方で呼び名が、ぼた餅(牡丹餅)、はぎのもち(萩餅)とも呼び、ぼた餅とおはぎとの区別はしだいに薄れてきています。

*春―牡丹餅(つぶあん) 夜船(よふね)何時つ搗(着く)いたかわからない。

春の彼岸に、神仏や先祖への供物とされた小豆あんの様子を、牡丹の花に見立てたことからの呼び名。

*秋―おはぎ(こしあん)北窓(きたまど)月を見ない・・搗くをみない

牡丹と同じく、あずきあんの様子を秋の彼岸の時期に咲く萩の花に見立てたことからの呼び名。

「お彼岸よもやま話~その2」

秋の彼岸になると、田んぼや畑に咲き乱れる彼岸花(ひがんばな)。別名、曼殊沙華(まんじゅしゃげ)ともいわれ、燃えるような真紅の花は目をみはるものがあります。子供の頃、彼岸花を「さわってはいけない」とか「持って帰ると火事になる」

などと言われものです。これは球根に毒性があるということと関係があるようです。毒はあるものの、非常時には薬になったり、救荒作物としての役割を果したそうです。農民が悪代官にお米の年貢をとりたてられて苦しんでいた時にこの彼岸花の球根を食べて飢えを凌いだそうです。

また、畦道に植えると毒によりミミズが生息せず、ミミズを餌にするモグラも近寄らないとか。稲作の伝来とともに日本の各地に広がりました。

 

第164話(ご先祖を粗末にした酬い)

最近の若い人は、先祖との付き合い方が解らないと言うか

ご先祖の恩に酬いるということが解らないのか死んだ人には

何の係わりもなかったとして、財産は権利として全部貰い、

供養はお寺に永代供養として預けこれでお終い。

ご先祖が苦労して築き上げた財産を自分だけの享楽に使い。

さて、早速に現れました、訳の分からない病気になりました。

どこの医者に診てまらっても原因が分かりません。

美しいご婦人だった奥さんが、獣のような眼をして座っている姿は

見るに忍びない光景でした。

私はキツネが憑いた犬神が憑いたと云うようなことは迷信だと思っていました。

 

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