ぼんさんのひとりごと
bonsan no hitorigoto第159話・中村哲医師アフガンで銃殺される。
トップニュースで(アフガ二スタンで医師、社会事業者として活躍されていました「中村哲」氏が
何者かに銃殺されました。)と報道されました。
少しは存じあげていましたが、こんなにもご活躍の人で驚きました。
日本人で他国に骨を埋める覚悟で現地の人らと戦乱の国アフガンをこよなく愛し、志半ばで無謀な人らに殺されるとは、残念至極です。
感動しました一言が「医師として、病気を治すだけではこの国の人らを救う
ことにならない。三度のご飯が食べられて、この地に住んで、家族が生活できること。
これが私に与えられた仕事だと思います。」
私は住職で先代住職の遺志を継ぎ寺を守ることに、42年努力したつもりでしたが、やっと80歳にして
中村哲氏の志に恥じ入るばかりでした。
僧侶は釈尊、玄奘三蔵、弘法大師(空海)の意志を忘れていました。
寺から出て、人々を救うのが、本来の僧侶でありました。
第158話(イチロー選手の引退)に一抹の寂しさがある。
昨日東京ドームでの試合後、引退を表明しました。現役で45歳、プロ野球選手として
通算28年の間、日本(オリックス)、アメリカ(メジャーリーグ ではマリーナーズ、ヤンキース)
での活躍は素晴らしいものがありました。
新記録を次々樹立し、奢らず、淡々と試合に臨む姿勢は胸を打つ。
オリックス時代仰木監督が鈴木一朗ではインパクトがない鈴木姓の選手は沢山いる
「イチロー」で選手登録をした、これを機会に大飛躍することになった。
いい人に巡り合えたイチロー選手は幸せだったと思う。
プロ中のプロその姿勢はどの業界の人にも共通するものがある。
仏教界にもそれらしい人は居るが、そうでない人が目立つこの頃である。
思えば、僧侶の中でも正座できない、頭の髪の毛を剃るのは嫌だ、声が細った、物忘れする、人に会うのが億劫だ、
線香の煙のアレルギーがある、人と話すのが苦手だ、あなた坊さんのプロでしょう、このような兆候が一つでも出てくれば、
引退を考える時ではないでしょうか?歳は関係ないですよ。
第157話(どんどやき)
「どんどやき」の呼ばれ方
(五十音順)
- あわんとり(千葉県南部・茨城県南部)
- お焚き上げ(神社で行事としてする場合)
- 鬼火、鬼火焚き(九州)
- おねっこ(宮崎県、鹿児島県)
- おねび、おねび焼き(九州の一部)
- おねぶ焚き(九州の一部)
- おんべ焼き(単におんべとも)
- 御柴灯(おさいとう)
- かあがり(長野県南佐久郡小海町、南佐久郡南相木村、北相木村)
- かんじょ(新潟県村上市岩船)
- さいと焼き(神奈川県横須賀市鴨居八幡)
- さぎっちょ(富山県、石川県、福井県、岐阜県、高知県、福岡県八女市、京都府京都市左京区)
- しんめいさん(広島県東広島市安芸津町)
- 道祖神祭り
- とうどうさん(愛媛県東予地方)
- とんど(奈良県、広島県、岡山県)
- とんど焼き(近畿とその周辺、東京都)
- とんど正月(兵庫県播磨地方)
- どんと
- どんどや(九州)
- どんど焼き(山梨県の一部地方、愛知県の一部地方)
- どんど焼き(群馬県、愛媛県南予地方)
- とんどさん(鳥取県、島根県)
- どんどん焼き(山梨県の一部地方)
- ほうげんぎょう、ほっけんぎょう、ほんげんぎょう(九州北部)
- やははいろ(東北)
「どんど焼き」とは小正月(こしょうがつ=1月15日)の行事で、正月の松飾り・注連縄(しめなわ)・書き初めなどを家々から持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やすという、日本全国に伝わるお正月の火祭り行事です。神事から始まったのではありましょうが、現在では宗教的意味あいは少なくなっています。
一般的には、田んぼや空き地に、長い竹(おんべ)や木、藁(わら)、茅(かや)、杉の葉などで作ったやぐらや小屋(どんどや)を組み、正月飾り、書き初めで飾り付けをしたのちそれを燃やし、残り火で、柳の木や細い竹にさした団子、あるいは餅を焼いて食べるという内容で1月15日前後に各地で行われます。
どんど焼きの火にあたったり、焼いた団子を食べれば、その1年間健康でいられるなどの言い伝えもあり、無病息災・五穀豊穣(むびょうそくさい・ごこくほうじょう)を祈る民間伝承行事です。
第156話(水子供養)
「水子供養」をお願いしたいのですが・・・・・・
と若い女性の人がお寺に来られました。
ご両親に結婚を反対され、子供を身籠ったのに中絶を
余儀なくされましたとのこと、御供養をした後、見る事も出来なかった
わが子に、「手紙を書きました、届けてください」
仏様の代わりに開封して読ませてもらいました。
母親の愛情がいっぱい溢れていました。
きっと仏さまもこのお母さんに次のいい子が授かり、皆に祝福されて
生まれてくれることを願いたいですね。 続きを読む »
第155話(教深寺和尚の面白教室)松前史談会投稿
教深寺和尚の面白教室
教深寺住職 石黒 夏生
仏の心を石に刻む
昭和59年弘法大師1150年の御遠忌記念の年石像を桜井の石彫家馬越正八師に修行大師像
(5尺)および慈母観音像(6尺)の制作を依頼に行き何度も足を運ぶうち小さな作業場に置かれていた童子像、童女像を見て、その可愛さに魅せられ「私にもこういう彫刻が出来るでしょうか」
「仏像を彫られるのはお坊さんの本来の布教活動の一環で結構なことですよ。この鑿と槌を差し上げますから、やってみたらどうですか。」と言って簡単に手解きをしてくれました。石としては
少し柔らかめの凝灰岩、砂岩、安山岩を東京や香川県、島根県の石屋さんに送ってもらいコツコツと彫り始めました。最初は6寸仏お地蔵さんを彫り檀家の人に差し上げました。1尺ほどの童子
童女の像を彫り始めました。3尺の観音像を泉の泉永寺へ差し上げました。
どこで調べたのか朝日新聞関西版に紙面半分の記事にしてくれました。産経新聞、愛媛新聞にも
取り上げられ一躍、石仏和尚として有名になりました。
300体くらいを作ったころ、大阪読売テレビが朝の番組「宗教の時間」に放映したいと
(6時30分から15分間)教深寺へカメラマン他4名のスタッフが平成2年の1月下旬4日間
あちこち私が差し上げた石仏の安置されている、お寺や檀家の家へ撮影に行きました。
放映は2月12日早朝の6時30分大阪は読売テレビ、東京は日本テレビで放映されました。
テレビの影響は驚くほどで各地から石仏の欲しいと言う人から電話や手紙が来ました。
地元のテレビは放映しなかったので地元の人はこのことを知りません、ビデオテープを読売テレビより貰い、今はDVDにして保管しています。今までに450体は制作しました。 続きを読む »