ぼんさんのひとりごと

第135話溝辺騒動

溝辺騒動とは?
1832年、4月8日に起きた事件。
 松山ではそのころ、4月に麦の豊作を祈る「麦祈祷」という行事がありました。そ の余興として溝辺村でも村の青年らによって芝居が溝辺川原で興行されました。  この芝居の見物に亀太郎という村の青年がいました。彼は友人と二人で仕立て下ろ しのおそろいの着物を着て見物に来ていました。一方、東野のお茶屋あずかりの武士 渡辺という人が娘を連れて湯ノ山の柳天王社に参拝しての帰り、芝居見物に来ていま した。  午後になって、芝居もいよいよおもしろくなったころ、雨が降ってきました。あわ てた渡辺の娘が日傘を差して見物を始めました。そうなると、後ろのほうからはさっ ぱり見えません。そのとき後ろのほうから、「傘をのけんか、後ろから見えんが。」 と大声で怒鳴ったものがいました。渡辺は怒って、「無礼な一言だ。聞き捨てなら ぬ。」というと、「傘をのけいというのがなんで無礼か。」といったことがきっかけ で、場内は騒然となり石が飛びました。渡辺は刀を抜いて若者連中に切りかかりまし た。大声で怒鳴ったのは、亀太郎の友人でしたが、同じ着物を着ていたので、友人と 勘違いをして亀太郎に切り付けました。運悪く物売りのひもに足を取られて、ばった りたおれたので背中に一刀受けました。渡辺は、人数を増やして、亀太郎を追い回し ました。追いつめられた亀太郎は、石手寺に助けを求めました。亀太郎が石手寺に逃 げ込んだということを聞いた渡辺は、石手寺の住職に身柄の引き渡しを要求しまし た。住職もしかたなく、亀太郎を引き渡しました。渡辺は、他の役人たち十五人とと もに亀太郎を騒動のあった溝辺川原に連れて行き、そこで斬首しました。このとき、 亀太郎は十八歳でした。殺されるとき亀太郎は、東野が見下ろせるところへまつって ほしいと言いました。今でも、溝辺の浄円寺に東野に向かってまつられています。  その後、溝辺では村芝居はしなくなりました。毎年、浄円寺境内で法会と子供ずもうが行われています。(湯山誌稿より)

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